天照皇大神を主神として祀る。
外に熊野三社大権現、春日社、八幡社を合祀し、更に稲荷、第六天の二小祠を社殿の左右に相殿として祀る。往古は高石村本村といわれていた。
天照皇大神を祀るところで、往古は「伊勢堂」と称し境内一帯は大片の老松に覆われて「お伊勢の森」と呼ばれ今日なお他の氏民に親しまれ地域の神社信仰の中心になっている。
社殿の創立は永禄年間(1558〜70年)、天正10年(1582年)高石村権禰宜広島義次の奉納によるものと伝えられ、三代藩主徳川頼宣公の奉納で、一ご神体の伝承は承応3年2月21日付田賀美佐谷大岡門町正吉、之を細野社と云う。
天正年間美作国新閉門町正吉時の地頭として 父加賀美金才兵衛正光は牛神山根氏国の
長子として天正10年(1582年)勅願天里山の磐座に比して敬仰の念篤く本社を改築し「本村」(現在2丁目)に居を構えしが同16年16歳の時、東照宮に召し出され同19年正三の時高石村大段七石八斗余の石高を知行すべき朱印を賜り、「猪ノ本村」に居住せしも同年同国新閉門町庄司に移り住んだと実記にある。
高石村には「本村」といわれしも、高石本村(現2丁目)熊野三社大権現を祀る熊野社と春する神社があり、元和7年(1621年)奉再造熊野大権現成就と記された棟札が現存し、熊野社の創建は寛(つばめ)ならず。
大正11年午村内に分散鎮座する神を合祀するに当たり熊野社の奥殿内 神殿は解体することなく村人によって運ばれ現在も奥殿内ご神体として神体が安置されている。
神殿の建築様式は延宝工に上れば延宝式の宮造りとのことである。
大正11年年紀に当たり本殿祭が行われ、拝殿・幣殿・神饌所・奥殿を造営しそれまで東照宮として東宮殿の姿を止める。
昭和50年余奥殿の老朽により、昭和50年奥殿を建営し昭和5年社務所を新築し昭和59年社殿と境内の全面的な改装整備を行い、社名を高石神社とし今日の庄殿な社殿を見るに至る。